元来「式」というものが私は嫌いなのだ。小さい頃から入学式も卒業式も嫌で、
親族が周りでやたらと喜ぶのが鬱陶しかった。葬式も結婚式も好きではない。
「儀式」全般が苦手である。やたらと形式にこだわり、無理にハレを演出し、周囲
の表情は一様で、お決まりの言葉しか出てこない。それでいて、本来式が持って
いるはずの厳粛性はぼやけていて感銘を受けることも無いのだ。くだらない。
というわけで(単に縁が無かっただけなのかもしれないが)私は成人式にも大学
の卒業式にも出ていないのだが、実は30年後あたりに後悔しちゃったりするのだ
ろうか。若き頃の思い出が欲しくなってしまったりするのかな。複雑な気分だ。
やや脱線しているかもしれないが、式と関連して用いられる言葉についても一
言。「けじめ」という日本語が嫌いだ。これ、果たしてどういう意味なのだろうか?
皆説明出来るのだろうか?「しっかり」や「きちんと」と同じく、「けじめ」という言葉
には注意すべきだと考えるのだがどうだろうか。ともかく「けじめ」なんて単語は、
一生に一度使えば十分だと思うのだが。
と書き捨てて終わろうと思ったのだが、どうやらそうした儀式は今後、より増えて
いくのだということに気付いた。どうも社会は、必要かどうかを問わず、とにかく式
を好むようだ。「区切り」というものを実感し、自身の中で切り替えて生きていく必
要性を感じるのはあくまで日常の中であるはずなのに。