雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

生きたければ戦って勝ち取れ

 「期待しない世代」の一人として述べる。


 今後は、世代間の裂け目(cleavage)が深まり、利害対立は深刻になるだろう。
その主たる原因は、不景気による失業・賃金カットと、高齢社会における社会
福祉費の増大である。ここで断っておくが、年金問題をどうすべきか、とか、
景気改善策等を述べるわけではない。自分の実感を通して、ルサンチマンたる
若者像を描こうとしているのだ。



幼少期:高度経済成長末期、父は24時間働くサラリーマン。
学生時:バブルとその崩壊、受験競争。
就職期:氷河期、買い手市場。
現状:どん底。
未来:明るく描く者は無し。10年先も見えない。



 これが一般的な若者像だとするとどうなるか。
 それなりにぬくぬくと大事に育てられて、景気の良い幼少期を過ごし、とり
あえずの目標は良い学校に行くこととなっており、競争の世界に入る。ところ
が学校を出るころには約束された(と勝手に思い込んでいた)明るい未来はす
でに存在せず、職を持って生きることも一苦労。そして将来に関する事項は暗
い話ばかりで、自らの負担は増えていく一方と思っている。


 そんな若者が一般的だとすると、どうなるのだろうか。



 冒頭で述べたことを再度述べるが、今後若者と高齢者層との亀裂は深まる。
そしてここで問題にしたいのは、「若者は年寄りの面倒を看るか」である。


 結論から言うと、看ない。老人はひどい仕打ちを受けるだろう。



 そもそも、若者が年寄りの面倒を看るには、いくつかの条件が必要だ。
1:負担が重過ぎないこと
2:若者に余裕があること
3:若者が年寄りに感謝していること
4:その若者もいずれ年を取って老人になり、次世代の若者に助けてもらうことを信じていること
といったところか。


 言わずもがな、上記4要件は全て破綻している。
1:高齢者の比率増加(社会保険料の増大)
2:不景気による失業・賃金カット
3:財政赤字や現在の不景気に対する怨念、世代間断絶
4:歳を取るのは事実だが、助けてもらえる人などいない(と考えるのが自然ではないか?)
・・・3で述べた怨念については、筋違いな怒りであり、むしろこれまでの努力に
感謝こそすべきだ、との批判を浴びそうだ。しかし悲しいかな、人間はプラスと
マイナスにおいて後者を、そして過去より現在を、より重視する生き物なのだ。




 ここで老人達(正確には自分も含めた老人予備軍)に問いたい。
貴方たちは、自らの面倒を若者に看させるような努力をしてきたのか?
若者が年寄りの面倒を看るのは当然のこと、と油断していなかったか?



「若者が年寄りの面倒を看るのは、その若者もいずれ年寄りになるからだ」
・・・私はこの考えに違和感があるのだ。
老人A世代の面倒を若者B世代が看ることと、
将来の老人B’世代の面倒を将来の若者C世代が看ることに、
いかなる結びつきがあるのだろうか。

正しくは、
「年寄りは、老後に助けてもらうために、若者に恩を与えねばならない」
なのではないか?
無論、恩を裏切ることは世の常で、何の保障も無いのだけれども、
こちらのほうがまだ理屈は通るだろう。



 ここで少し話がそれるが、具体的な話をしよう。赤字国債というのは、やはり
相当危険なのではないか。世代間の断絶が、すごく深まる可能性が高い。たとえ
ば、財政赤字のひとつの原因である、土木公共事業について述べよう。
・・・将来に残された借金と、建設されたもの。
 赤字国債を発行してでも公共事業を行うべきである、という論の根拠として、
公共事業をすれば失業対策になるし、減税よりも経済効果が高いのだから行
うのであって、建設物が無駄か否かは大した問題ではない」というものがある。
この論の正否はともかくとして、将来の若者はどう考えるだろうか。
・・・残された借金と、建設されたもの。
・・・まさか将来の若者が借金をけなげに払ってくれるとでも?


 もうひとつ具体的な例を挙げるならば、年金の未納問題だ。
高齢者の生活を支える年金を、若者が払っていないことの問題は、もっと
深刻に考えられて然るべきだ。無職の老人にとって、年金が生きる頼みの綱
であることを知っているにも関わらず払わない者が相当数いるのであるから
(未納率は約40%)。未納者を妖怪扱いしても意味は無い。彼らはもはや
老人を見捨てようとしているのだ。強制徴収しても大した変化はなかろう。




私も含め、皆覚悟すべきだ。
若者を信頼するな。信頼しないからこそ、恩を売るのだ。
国家を信頼するな。信頼しないからこそ、政治に参加しろ。
今後、世代間の亀裂は深まる。互いに生きるのに必死になる。
そして、だからこそ、政治の重要性は高まる、はずである、のだが。