雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

「空気」と「世間」

 

「空気」と「世間」 (講談社現代新書)

「空気」と「世間」 (講談社現代新書)

 

 

鴻上尚史著。「幸福のレッスン - 雑記帳」を読み、鴻上氏の他の本も読んでみようと手に取ったところ、実に私の問題意識に噛み合う内容で、大変参考になった。本書は、「世間」や「空気」という観点から現代日本社会を解説した内容であると同時に、その国の中にあって「生きにくい」「息苦しい」と感じる人がどうすれば良いか、というヒントが記されたものである。
 
著者は、山本七平氏や阿部謹也氏の著書からの引用として、「贈与・互報の関係」「長幼の序」「差別的て排他的」「神秘性(≒非論理性)」等、「世間」の特徴を説明する流れを読んで、目から鱗が落ちた。・・・そうだったのか、私が子どものころから、鬱陶しい、または馴染めないと感じてきた「世の中」とは、「世間」のことだったのか。人の「出身地」や「出身校」を重視する考え、また「年功序列」や「先輩後輩」の文化、「伝統」や「儀式」を重んじる風習など、いずれも「世間」の性質だったのか。

 

私自身、世間知らず、または世間に疎いという自覚があり、それでも「世の中」がそういうものである*1以上、私がそこに合わせていくより仕方ない、と考えていた。しかし、どうやら「世間」が「世の中」の全てではなく、「世間」の向こうには「社会」があるらしい。
 
とはいえ、著者は「世間」を捨てたら「社会」の一員になれる、と安易な解決策は提示していない。というか、日本において世間はそう簡単に捨てられない。西欧諸国は「社会」と「個人」で構成される国とされるが、その背景には一神教による長年の支配・蓄積が必要だという*2。神の支えもないのに、これまで日本人を支えてきた世間(や会社)を溶解して、果たして人はその生の重さに耐えられるのか。
 
著者の処方箋は、「個人」として強くなる道を取りつつ、それと並行して、自分が居たいと思える複数の所属を見つけることで「世間」を相対化すること。社会に生きる、ということは、簡単なことではない。
 

*1:本書でいう、所与性という世間の性質

*2:ここら辺は、現代アメリカの宗教に関する書籍を確認したいところ。