雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

虐待死の報道を受けて

 

 

 虐待の報道に接するたびに胸が締め付けられる。今回の事件もつらかった。児童相談所や警察の役割という観点がクローズアップされるが、根本的な解決を図るためにはどうすればよいのかと、素人なりに考える。幼くして、苦しみながら死んでしまった彼女に対して、無力な自分を恥じながら考える。

 

 今回の事件で逮捕された男の行動を見る限り、「幼い子どもにこんなことをしても大丈夫」と考えてしまうような、圧倒的に想像力が足りない人間と捉えることもできるし、「分かっていながらあえてやっている」サイコパスな人間像を描くこともできる。いずれにしても、そのような人間でも親になれる以上、親の資質や能力については、相当な「幅」をもって想定すべきである。

 

 さて、相当に多種多様な親がいるという前提にあるとき、親に対する啓発に効果はあるか。一定の効果はあるかもしれないが、当然こぼれ落ちる層も出てくるだろう。むしろ、啓発事業には「本当に届けたい相手には届かない」という傾向すらある。したがって、親をなんとかしようという試みには限界がある。

 

 それとも貧乏が虐待を招くのか。子育て中の親にたっぷりお金を配れば解決するのか。貧困と虐待に相関関係があることは事実なので、一定の効果は得られるだろう。しかしながら、今回のような虐待事件をみると、経済事情だけで問題が解決するとはやはり思えない。5歳の子どもが「もっともっときょうよりかあしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください」と書いたノートを見て、次の日も虐待を続けることができるような人間を排除するには、外部の力を入れるほかない。

 

 結局、子育ての社会化という当たり前の話に行きつく。親を孤立させないことは、子を困難な家庭から救い出す可能性の向上を意味する。児童相談所や警察や児童養護施設ももちろん重要だが、もっとより多くの機関が役割を担うべきだ。「子育ては親がするもの」とか、「赤ちゃんにはママが良い」とか、そういう発想を離れて、社会全体で子育てを担う方向に進まないといけない。そもそも義務教育(およびその無償化)には、国家全体で子育てを担うという思想が根底にある。一方現状では6歳以下の子どもは、親が希望しなければ、ずっと家庭の中で過ごすこともあり得る。そこを(無理やりにでも)外に開放することができないか。今、未就学児の教育(保育園、こども園、幼稚園)無償化が進められようとしているが、虐待防止(または早期発見)に効果が出ることを願っている。