- 作者: 岸田秀
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1996/01/18
- メディア: 文庫
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岸田秀著。古いエッセイだが、面白い。幕末開国以降の日本を精神分裂病と診断し、和魂洋才を一刀両断、日米戦争を発狂とまで断じる氏の見方は鋭い。この病気が今も続いているのであれば、昨今の「戦後レジームからの脱却」についても同じような分析ができるのかもしれない。現実の受け入れが意味するものは妥協であり、納得いかない気持ちがくすぶり、自分の心が内外で分裂してしまう。
超自我と自我を社会に、エスを個人に置き換えて解釈する考えも分かりやすかった。文化は、共同幻想であり、個人の幻想の合成だけでは成り立たない人間社会が仕方なくこしらえたものだという理解だ。本能が壊れてしまった人間は、自身の思むくままに生きては社会が成り立たず、どこかで共同幻想を作り出す必要があり、それを受け入れる必要がある。そして、共同幻想が受け入れられないということは、どうしても自身の抱く個人幻想との妥協ができない人であり、社会から弾かれる運命にある。例えば恋愛、夫婦関係だって二人の個人が創りあげようとする共同幻想であり、「約束事」に過ぎないというわけだ。
他にも、フロイトに関する岸田流解釈はとても面白い。人間の性的リビドーが発生する頃には、身体が未熟すぎるため、人は誰しも性的な不能から出発するという話、そこから派生するタブーの解釈などはとても分かりやすい。最後に、本書は映画監督の故伊丹十三氏が解説をしているが、これまた熱い文章であった。