雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

芸のためなら亭主も泣かす

芸のためなら亭主も泣かす

芸のためなら亭主も泣かす

 中村うさぎ著。強烈な自意識過剰もしくは虚栄心、支離滅裂なアクセル全開、そして全方位的な放言と、相変わらずのうさぎ節を堪能出来た。


 美容整形や風俗、借金や数々の失敗談など、著者が自身の実体験に基づいて社会を見つめ直し、またそれを語ることで、世の中のタブーは解除され、アンタッチャブルな分野が明るみに出ていく。それによって差別の解消に繋がることもあるだろうし、一方でむしろ差別意識がより明確な形となって現れていくこともあるだろう。人の差別意識の根は深く、差別事案の個別撃破は、形を変えた別の差別を発生させる結果に終わるなのかもしれないが、ともかく著者のように身体を張って「何でもアリ」な生き様を見せてくれる人によって、私自身に刷り込まれた思い込みや、根拠無き前提を突き崩すことが出来る気がする。


 美容整形の件を読んでいて思ったこと。どちらが正しいとかいうことではないのだが、自分自身が目指すゴールが、「自分自身との和解(=自分を受け入れること)」にあるのか、それとも「自分が羨ましがられる存在になること(=他者に受け入れられること)」にあるのかを自覚することは大変に重要である。目指すべき方向性を把握せずに行う努力は、結局は徒労に終わるから。美容整形をするにしても、「誰々のような顔になりたい」と願う人と、「自分のここを直したい」と思う人とでは、その動機も方向性も似て非なるものだ。もっとも、これらは二者択一の問題ではなくて、どちらにより重点を置いているのかという傾向の問題かもしれないが。


 自分を受け入れる、ということはなかなかに難しい。最近は聞かなくなった言葉だが、「自分探し」ということも、結局はこれに繋がる話だったように思う。自己満足と虚栄心は、いずれも得られれば得られるほど更に欲してしまうような、そういう難儀な性質のものなのかもしれない。仮に、食べれば食べるほど食欲が増すような、そんな食べ物があったとしたらどうなるだろうか。おそらく、解決法はそうしたものと手を切るより他に無い。自らに不足しているものばかりを見つめていても、幸福感は遠のくばかりだろう。


 最後に。開き直って生きることが、自身の持つコンプレックスを解放(もしくは矮小化)することであるならば、それはきっと人生の生き辛さを解消してくれることだろう。そういう態度も、ときには必要だろうと思う。しかし一方で、露悪主義的に生きることは、必ずしも望ましい人生にはつながらないのではないか。人生は、とにもかくにも進んでいくものだが*1、「自分はこの程度のものだ」と固定してしまっては、その先が見えてこない。人間の弱く醜い部分だけを取り上げて、「人間ってこういうものでしょ。」と規定する言い方は違うだろう。人間には確かにそういう部分もあるし、決して完璧でもなければ純粋でもないだろうが、一方で「こうありたい自分」を掲げて、それに近づく努力をする存在でもあるわけで。夢や希望だけで人生を語る人は確かに鬱陶しいけれども、ダメな部分だけを抽出してそれがあたかも人間の本質であるかのように描くのは、却って人生に制限を課しているように見える。

*1:In three words I can sum up everything I've learned about life: it goes on. - Robert Frost