雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

自分の頭で考えるということ

自分の頭で考えるということ

自分の頭で考えるということ


 職場の同僚から薦められた一冊。人間の脳には未解明な分野があるという前提、または美意識といった価値観が支配する「人間の世界」と、コンピュータの高性能化を背景にした「全検索」という大きな時代の流れとの対比が面白かった。


 人間を相手にすることが面白い理由は、思い通りにならないから、または協力して何か新しい別のものを生み出すことが出来るからである。それはつまり、世界と自分は同一ではないこと、または自分が孤独ではないということの確認をしていると言えるだろう。人間の行動は必ずしも合理的ではないし、ミスをすることもあるし、場合によっては敢えて損なことをしたりする。それは、人間は遊びをする生き物だ(ホモ・ルーデンス)ということで昔から言われてきたことでもある。


 本書のタイトル、「考えるということ」については後半で語られている。羽生という現役最高峰の棋士が自らの思考の流れを説明しており、これは読んでいて好奇心をそそられる部分だった。将棋は単に勝ち負けを決めるためにあるのではなく*1、思考する力そのものを競い合うゲームである。だから、負けても終わりではなく、過去の棋譜を参照し、自らの敗戦を分析し、更なる高みを目指していく。


 人間は脳の力を部分的にしか引き出せていない、とは良く言われることだ。膨大な情報へのアクセスが容易になり、ますます自らの頭の中だけで考えるという時間は失われていく。そうした現代的背景において、考えるということは贅沢なことであり、楽しい時間なのだろう。

*1:将棋のメタファーは「戦争」ではなく「交易」だそうだ。