雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

生と死、創造と維持と破壊

一日一日を人生最後の日として生きよう。いずれその日が本当にやってくる。
(スティーヴ・ジョブズ


 実際、人間の一生は、生き死にの繰り返しの積み重ねと言える。例えば朝の目覚めは生を授かることに似ており、また夜に就寝することは死ぬことに喩えられる*1。食物の摂取と排泄もそうだし、呼吸だって同類だ。今は偶然、再び生を受けることが出来ているだけで、いずれ永遠の死と出会う日が来る。


 ニーチェの尊くて美しい「永劫回帰」なる概念も、現実には当てはまらずに人生は向こう側への一方通行であり、過去の生は記憶と化して二度と戻ることはない。それにも関わらず、私が過去を保存しておきたがるのは、過去に自らが生きていたことを確かめたいからであり、また昨日より今日を、そして今日より明日を少しでも良き日とするためである。


 世の中が生き難いと感じたのなら、自分が変わるか、周りを変えるか、または生き難さを受け入れるかを選ぶしかない。組織は己の秩序を守るために得てして内向きになりがちで、変化を嫌い、外部を疎んじるだろう。一方の私はきっとこれからも異端であり、現状のルールを忌み嫌い、変化を求めて厄介ごとを引き起こすだろうが、ただし既存のルールを破るときは、細心の注意を払って出来るだけ臆病に破るべきなのだ。何故なら、全てのルールには何らかの意味があるから。はみ出すことに罪悪感を抱く必要などは無いけれども、秩序を乱す者はいつかどこかで必ず、不利益を被ったり抵抗を受けたりすることになる。卵は壁に当たると割れてしまうのだから。

*1:毎晩、身体は睡眠を求めているのに頑として抵抗して無為にだらだらしてしまうのは、どこかで「一日の終わり」を恐れているからなのかもしれない。しかし「全ての終わりは全ての始まりでしかない。ならば死ぬべきときに死なぬは恥さらしなだけよ。是非にも及ぶまい」(花の慶次)、けだし名言であり、しかと心したい。