雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

自分と他人

 私もあの人もこの人も人間なので、最終的には自分が思ったとおりに生きる/死ぬだろう。仮に他人に何を言われても、どのように思われても、またはどう励まされようとも、決断と責任は自分自身が担うしかないわけで。やる気を出す、生きる気力を持つ、変わる/変えないと決意する・・・、いずれにしてもその人の中で生まれ育まれてきたものでなければ、何ら効力は発生しないだろう。人生を左右する問題について、他人からの強制や助言を素直に受け入れるほど、人間の自我は弱くない。


 上のように考える一方で、他人が他人として(つまり「他人が当人に勝手に成り代わって」という意味ではなく)果たせる役割もあるのではないか、とも思う。少なくとも、「きっかけ」は他人によってもたらされるものだろう。焦り、喜び、信頼、怒り、嫉妬、何にしても、他人には人を変えるきっかけ(または続けていくという決意につながる契機)を生む力がある。


 人に強制など出来るはずがない、ということは自覚すべきだが、自分が他人にとって無意味・無価値だと思い込む必要も無いだろう。単純な話だ。お互いにひとりの人間なので、孤独から完全に逃げ切ることは出来ないかもしれないけれど、実はそもそも絶望するほど孤独では無いのかもしれない。自立した人間同士がお互いの孤独を分かち合うことができれば、それはとても素敵なことのように思える。