雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

近視眼的思考

 大切なのは、長期的な見通しである。しかし短期的な予測の方が簡単そうに見える。なぜなら、予測のための材料は大体出揃っているから。よって、普通は短期的予測のみにエネルギーが注がれ易い。けれども、その簡単そうに見える短期的な予測を積み上げていくと長期的見通しが出来上がるというものでは無い*1。むしろ、両者は別のカテゴリーにあると考えるべきだろう。


 第一、短期的予測は簡単そうに見えるのだが、それが実際に当たるかどうかは全くの別問題だ。案外、当たり易いのは長期的な見通しであることも多い。長期的には我々は皆死んでいるわけだし。超長期的には原油は枯渇するだろうし。さらに超長期的には地球は氷河期に入って人類は滅亡するだろうし。


 で、何が言いたいのか良く分からなくなってきたのだけれど。そうだ、近視眼的な思考は楽だけど、それでは多分救われないだろうということだった。つまり、目の前のことにしか意識を向けることが出来ず、長期的な見通しなど立てようともせず、そして(優先順位を考えて比較考慮すれば浮き上がってくるはずの)大切な何かを見落としてまで、おそらくはどうでも良いはずの瑣末な目前の問題にばかり神経を集中して時間を消費するのは慎まなければならない、ということ。


 目前の「問題a」は、それが問題である限り解決を図らなければならないのだろうけれど、「その問題aが現時点で無限に存在する問題群の中でどれだけ優先順位が高いのか」という問題Aは、問題aだけを見ていても解けるはずが無い。そんな、当たり前のことですら忘れてしまうのは、如何に私が近視眼的な思考に陥っているかということを示している。

*1:明日の降水確率/為替相場を必死に考えても、地球規模での気候変動/長期的なユーロの安全性を考える際には全く役に立たない。