雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

Brokeback Mountain


 男同士の満たされることのない純愛がテーマ。主人公2人の世界には共感できる部分もあるが、それぞれの妻の気持ちを考えるとどうにも納得がいかない。特にアルマ(ミシェル・ウィリアムズ)が「気付いてしまう」シーンおよびそれからの一連のジャックの行動は酷過ぎると思う。「ゲイかどうか」という問題以前の話だろう。彼女のみじめな気持ちを想像すると、(真実の愛がどれだけのものかはしらないが)妻にあそこまで惨い仕打ちをして平然としているジャックにはやはり同情できない。


 イニスの妻であるラリーンも、ジャックとの電話のシーンを見る限り、多分「知っていた」のだろう。もう少し彼女の気持ちを描くシーンが欲しかったところ。まあ、映画の主題からは外れるか。


 ジャックに焦点を当てて考えてみると、目立つのは彼の保守的な姿勢だ。彼には彼のルールがあって、例えば自分がゲイであることは社会に隠さなければならないということ、感情は表に出さないこと、仕事や居住地を変えないこと、などが彼の価値観であり、規則なのだろう。一般に、ルールというものは社会から個人に組み込まれるものであり、ジャックがそのルールの中で(縛られて)生きようとすることは理解できる。そうした社会のルールはそう簡単には変えることは出来ない。しかし、ジャック個人のルールは必ずしも社会的なルールと同一ではないし、個人のルールは各人が独自の経験と思考を経て改定することが出来るし、そうしなければ生きることに堪えられないのではないか。


 実際、ジャックは「妻と離婚など出来るはずがない」と言ってイニスを突き放しておきながら、離婚の原因となる(イニスとの)不倫は平気で行ってしまう。また、「生活を守るためには仕事をしなくてはならない」と言って大した金にもならない牧場の仕事を続けるくせに、イニスが妻との手切れ金で生活していけるという提案には乗ろうとしない。これは、ジャックが守ろうとしている(つもりの)ルールと、本当の自分の価値観や生き方がずれていることを意味している。だから、本当はどこかで彼独自の価値観を取り込んだ「ジャックのルール」を作り上げなければならなかったはずなのだ。けれども彼はそれをせず、彼自身の現実と合わない「与えられたルール」の殻に閉じこもってしまい、そのために周りの人を傷つけ、自身も大切なものを失ってしまった。


 最後になってようやく、つまり大切なものを失って初めて、ジャックは自分自身の生き方を引き受けるようになったということなのかもしれない。仕事の予定が入っていても、娘の結婚式には出ようとするし、イニスへの想いを正直に口に出すことができるようになる。そうした不器用な、どうしようもない生き様を描いた作品とも言えるだろう。


 まあ、景色は圧倒的に美しいし、羊は可愛い。親思いの子供達を描くことで何となく救われているところはあるのかな。鑑賞後の感想が明確に分かれそうな映画だ。