雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

はだしのゲン

〔コミック版〕はだしのゲン 全10巻

〔コミック版〕はだしのゲン 全10巻


 8月6日に広島に行ったこともあるし、原爆記念館も入ったことはある。けれど、原爆について私を方向付けているのは間違いなくこの本だと思う*1。年を重ねていく中で、戦争、アメリカおよび日本についての考え方は、この本から得た印象と次第に変わっていったけれど、原爆についての思いは子供の頃と多分ほとんど何も変わっていない。「はだしのゲン」を読んだ子供は酷い恐怖に襲われて泣き、おそらく一種のトラウマになる。しかし、思春期の終わり頃に読み返すと、たとえ筆者の考えにいくつかの点で違和感を覚えたとしても、この本に何かしら敬意を払うのではないか。異論を唱える人は多いだろうが、私は漫画史に残る傑作だと思う。


 皮膚を垂らして「ギギギ」と言って死んでいく人々。あの絵こそが私にとっての原爆である。この本を読み進めていく中で、一種の重苦しい感情に囚われてしまうのは仕方のないことだと思う。原爆については、どうにも思考停止してしまうようで、冷静な議論など出来そうに無い。


 以上の雑感を書いた後で、本日の朝日新聞社説を読んだ。アメリカよりも久間発言に対して嫌悪感を抱く朝日新聞の思想は良く分からない。率直に言えば醜いと感じた。久間氏はアメリカの立場から客観的な分析をしただけであり*2、彼の発言を叩くならアメリカも叩かなければおかしいではないか。そんな論理的一貫性はさておき、この社説には大切なことが欠けている。原爆に関しては、「アメリカのばかたれ!」という単純な意見を(露骨に出さないまでも)姿勢として示し続けるべきなのではないか。


 過去に日本がしてきたことの全てを正当化するつもりはないし、無謀な戦争に突き進んだ失敗に対する反省も必要だろうし、敗戦国として言論の枠が狭められることもあるのかもしれない。そして連合国や非占領国等日本以外の国にとっては、原爆は意義も正当性も存在するのかもしれない。それでも、これらを全て認めたとしても、やはり「原爆のばかたれ!アメリカのばかたれ!戦争のばかたれ!」と言わざるを得ないのだ。日本人が持つ「非核」という思想の中心にあるのは、原爆によってもたらされた悲しみと怒りなのではないのか。

*1:「ひろしまのピカ」も決定的な威力を持っていたかな。

*2:先ほども書いたが私は原爆について冷静な判断が出来ないので、当時は彼の発言に不快感を覚えた。ただ、発言の状況や意図から判断して、辞職させるべきだとまでは思わなかったけれど。