雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

ボルベール

 映画の日だったので1,000円で鑑賞できた。ペドロ・アルモドバル監督は、『オール・アバウト・マイ・マザー』と『死ぬまでにしたい10のこと*1』に続いて3作品目。結構好きな監督だが、個性が強いというか、「くせ」がある作品を作る監督だな、という印象がある。スペイン映画は、おそらくアルモドバル監督のものしか放映されないので、それだけでも貴重な監督だと思う。今回の映画を観ていても、スペインの街なみや家のつくり、音楽に料理、そしてスペイン語が懐かしく感じる。学生のときのスペイン旅行を思い出して、「あの時は楽しかったなあ」などと回想的になりながら観ていた。

 
 さて、ボルベールである。volverは「戻る」という意味の動詞で、英語ならcome(come back)にあたる。何がどこに戻るのか、ということが主題なのだろう。観れば分かることだが、「何が」には「家族」が、そして「どこに」にも「家族」が入る。そう、この映画は、家族がいくつかの事件を乗り越えて再生していく物語を描いているのだ。


 ただし、この家族に含まれるのは女性だけである。何故ならば、男は皆だらしなく、淫欲な人でなしなので、家族を維持するためには排除されなければならないからだ。この作品は女性賛歌の物語であり、これはもう前提になってしまっているので、このような設定を受け入れられないと鑑賞するのは辛いかもしれない。私の場合、もちろんこのような男性観を否定したい気持ちはあるけれども、まあ正直なところ、男にはそうした愚かな一面もあることを自分の経験上痛いほど良く分かっているので、何とも言えないといったところ。それに、ダメな男という設定は前提にこそなっているものの、別にこの映画の主要なテーマというわけでは無いし。


 それにしても、この作品に出てくる女性は、皆タフである。タフ過ぎる。その原動力は何なんだ、と聞きたくなるくらい。主人公も、姉も母も、そして娘も皆悲劇を背負っており、それを忘れたり受け入れたりして乗り越えようとしている。決して消えない悲しみを、正面から償ったり、一時どこかに置いてきたり、そのままに受容することは、もちろん簡単なことではなく、それが出来る人は皆「強い」のだ。そうした強さを美として描くのが、アルモドバル監督の得意分野なのだろう。ベネロペはその外見からも十分美しいひとだと思うけれども、途中で歌を唄うシーンの彼女の姿から溢れる力強い美のオーラには鳥肌が立った*2


 脚本も巧い。説明をくどくどせずに自然な流れの中で理解できるようになっている。映像も美しく、淡々と終わる締め方もこの作品なら構わないだろう。おそらく、私には理解できなかった伏線がまだまだありそうな気がする。観る価値がある作品だと思う。




 最後に、これから観る人へ(お節介かもしれませんが)。「ペネロペ・クルスは若く(またその色気や美貌から)母親という設定には不向きである」、と冒頭で直観した方は、その気持ちを不快感としてではなく、「どうも引っかかるな」くらいにして頭の片隅に置いておくと、逆に作品を理解する助けになるかもしれませんよ。

*1:こちらは監督ではなく、プロデューサーか。

*2:何でこの曲をエンディングテーマに採用しなかったんだろう?