雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

深呼吸

 人間である以上、長所もあれば短所もある。しかし、他人と接したときにより印象に残るのは短所の方であることが常だ。ある人を思い描くとき、いくつもその人の長所を知っているにもかかわらず、わずかな短所がより強い印象を伴って個人像を支配してしまうことが多い。これは、人間が抱く感情の力を比べたとき、敬意の念よりも嫌悪感の方が強いものだからなのかもしらない。そして私はよく嫌悪感に飲み込まれてしまい、他人に対して一面的かつ感情的な評価をしてしまうのだ。


 しかし、他人の持つ短所は、省みれば自分にも当てはまる事項であることが大抵であって、人に対して不快感を覚えているときは都合良く自分のことを忘れているに過ぎない。だから過去を振り返れば、同じような立ち振る舞いをしていた自分がいて赤面してしまうんだ。つまり、短所にばかり焦点を当てて人を評価する場合、私はその人の長所を忘れ、かつ自分の欠点を棚に上げていることがほとんどなのだろう。とても恥ずかしい話だと思う。


 人の欠点が目に付く場合、深呼吸して、まずはその不快感を消すことだ。冷静になって、自分に同じような短所が当てはまるかどうかを考えてみる。そうして苦笑いをしたならば、相手の長所を再評価してみること。面倒でもこうした手順を踏まないと、ひとつの視点を絶対化してしまう。それはとても幼稚で不自由な思考で、孤独にしか繋がらない。


 ただし、私が冷静かつ相対的な視点を持ったとしても、その人の欠点が消えるわけではない。こうして初めて私は「他人の短所とどう付き合っていくか」という段階にいたる。判断が難しいところだが、黙って我慢する場合もあれば、指摘する場合もあろう。まあ、欠点の無い人間は現れないのだから、当人がその欠点を自覚しているのならどちらでもいいのかもしれない。むしろ問題は指摘する側に、「不完全な人間としての共感」があるかどうかなんじゃないだろうか。



 欠点に対して開き直ってそのまま生きていくときもあるだろう。
 より良い自分とやらを目指して前向きに学習するときもあろう。
 分かっているけどどうしようもないんですごめんなさいと泣く場合だってあるよね。