雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

七つの会議

 

七つの会議 (集英社文庫)

七つの会議 (集英社文庫)

 

 

 池井戸 潤著。仕事と生き様、組織と個人という、池井戸小説ではおなじみの展開。基本的に日本の会社は、または日本社会という組織は、内部からは変わらないし、外圧がないと変えられない。会社においては不正や隠蔽をしてでも組織を守る、と言いつつ、守られているのは体制の主流派に過ぎなかったりする。トップが悪い、役員が悪い、誰かが悪い、という理解よりも、組織という生き物の性質と考えたほうが分かりやすい。

 

 ところで本書、さくさく読み進められ、あっという間に読み終えることはできたが・・・不要なエピソードが多かった。主要な登場人物それぞれの背景や家族構成まで記載する必要はなかったのでは?設定を考えつつも、それを全て文章に記すのはどうかと。また、途中で出てくるドーナツ屋の話、不要では?もっと原島と八角に焦点を当ててほしかったかな。

勝ち続ける意志力

 

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

 

 

 梅原 大吾著。プロゲーマーという職業に興味を惹かれ、読んでみた。ゲームへの取り組み、自分で選んだ道への不安と戸惑い、挫折と回り道など、率直な思いがつづられていた。文章としては上手いと思えないが、プロゲーマーという一種の職人の言葉に触れられたのは、まあ貴重な経験といえるかもしれない。

 

鉄道博物館

 なかなかに充実した週末、といっても、子どもにとってだが。土曜日の午前はプールに行き、午後には諸事情あって生まれて初めてのテレビゲームをすることに。私がもっているWiiのソフトはもう5年以上前の古いものだが、コントローラーを操作することの意味は感覚的に分かったようで、すんなりと順応。

 

 むしろ、かなりはまってしまったようだ。最近よく遊んでいたオセロはそっちのけで、もっともっととねだってくる。「だからまだやらせたくなかったのに」と、妻のもっともな指摘を受けつつも、親子でテレビゲームというのは、きっと私の世代あたりから始まる習慣なのではないかと思うと、少し嬉しい気もする。

 

 夜は近所の友人一家とたこパー。「たこパー」と文字にするとかえって意味が分からないが、関西の奇習であるたこ焼きパーティ。パーティといっても、単に延々とたこ焼きを焼いて食べ続けるだけなのだが、たこパーはたこパー。ビールが旨い。

 

 日曜日は念願の鉄道博物館へ。オフシーズンのはずなのだが、入り口からものすごい人込み。入場前売券を購入しておいたのは正解だった。興奮した長男は親の手も放してひとり走り出す。あれも乗りたいこれも見たいと彷徨い歩く。見せ方が工夫されていて、鉄道にそこまで興味を持っていない人でも十分に楽しめる。

 

 中でもよかったのは蒸気機関車で、10分程度ではあったが、動く機関車に乗ったのは初めてだったので、これはかなり嬉しかった。レールの周囲は梅の花が咲いていて、風に乗ってふんわりと香りが漂い、ポカポカ陽気も手伝って、春を満喫した瞬間であった。

 

 

親と子のアドラー心理学

 

親と子のアドラー心理学

親と子のアドラー心理学

 

 

 

 岩井 俊憲著。アドラー心理学を活かした子育て指針の書。著者が述べる主張の内容自体は、間違っていると思わないのだが、残念ながらどうにも腹に落ちない。著者の自慢が鼻につくのか、著者の配偶者の「子育て日記」が嘘くさいと感じるからか、それとも著者のセミナーの宣伝部分を鬱陶しく感じるからか。

 

 ともあれ、「尊敬、共感、信頼を忘れずに、勇気づけする子育て」という方針自体は大いに共感できるので、他の著者によるアドラー心理学を踏まえた子育て書籍を読んでみようと思う。

 

『坊っちゃん』の時代―凛冽たり近代なお生彩あり明治人

 

 

 関川夏央谷口ジロー著。夏目漱石を中心として、明治時代の日本人を描く群像劇。この作品のように当時の視点に立って描かれてみると、漱石もひとりの苦悩する日本人であり、ビールも飲めば、縁側で爪を切り、失言をして悔やむこともあれば家計を心配したりもする。考えてみれば当たり前の話ではあるが、「文豪漱石」というレッテルが張られてしまうと、そうした人間としての普通の生活が想像できなくなってしまう。人間を、その人間のとおりに見るのは現代人同士でも困難なことだが、歴史上の人物だと猶更難しい。

 

 漱石の作品で読んだことのある作品は、吾輩は猫である坊っちゃん、こころ、そして夢十夜といったくらいか。生前、祖母がもう90歳前後だったころだと思うが、家で読書をしていたとき、漱石夢十夜を読んでいて驚いたことを思い出す。そのときは祖母が「古典作品」を読んでいたことに驚きを覚えたのだが、改めて考えてみれば、明治生まれの祖母にとっては、夏目漱石は決して歴史上の人物ではなく、同時代の作家なのだ。いうなれば、私が筒井康隆村上春樹の本を読むのとそう変わらない。

 

 もし祖母が今も生きていたら、漱石の作品についてどう思うのか、同時代の人からはどう読まれていたのか、そんなことを聞いてみたかった。

 

神々の山嶺(上・中・下)

 

 

 

 

 谷口ジロー著、夢枕獏原作。すごい、の一言。登山という行為の激烈さと孤独感、それにもかかわらず登山家が夢中になるその魅力が余すところなく描かれている。とにかく、すごい。

 

 元々は、漫画家谷口ジロー氏が亡くなったことを受けて、その弔意表明として読み始めた本書であるが、作品の想像以上の迫力に圧倒されてしまった。「孤独のグルメ」も好きな作品ではあるが、インパクトの大きさでは比較にならない。原作は読んでいないが、漫画というメディアでなければこの迫力は伝わってこない気がした。グランドジョラス失敗からの生還、そしてエベレストという世界一の山との格闘と、印象に残る場面は大変多く、また名言も多い作品である。羽生と深町というふたりの男が、それぞれの人生を生き抜く、熱い物語だった。

李白

 

李白 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス 中国の古典)

李白 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス 中国の古典)

 

 

 筧久美子著。詩仙李白の詩について解説しながら、彼の人生を追う書。本書最後の中国地図を見ると、彼がいかに長い距離を旅していたのかが良くわかる。当然のことながら鉄道すらない時代に、なんともすさまじい行程だ。詩は人生なら、旅もまた人生。今日は私も出張だったので、移動中に本書を読んでいた。

 

 酒を愛した詩人として有名な李白だが、決して楽しい酒を詠うばかりではなく、むしろ詩に込められているのは彼の孤独と、自らの不遇への嘆きだ。活躍の場をつかめなかった者は、いつの世にもいるということ。仙人のように暮らしたいと思っても、人は独りでは生きられない。人の間にいるからこそ、孤独を感じざるを得ない。

 

 千年以上の時を超えても、李白の詩は読める。きっと私には大体の雰囲気レベルでしか理解できていないのだろうが、それでもその詩を美しいと感じることができる。時代も、国も、言語も超えて、何かが伝わってくるとは、なんとも不思議なことだ。